これは折に触れて書いた文章を集めたもので、一貫した内容などはない。章の名に京阪電車の駅名を使っているが、全く関係のない文章も多く、目印のようなものにすぎない。 また、事実や現状に重きを置いているわけではないので、フィクションというほどのこともないが、書いてあることを信じるのは避けてほしい。
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天満橋の駅前の交差点からだらだら坂をのぼって学校に通っていたことがある。
ちょうどいい時間に4番線から出る区間急行があり、それに乗れば必ず座って帰ることができた。
中之島へ線路が通じる以前、3、4番線の線路は行き止まりで折り返しの電車が発着していたのだ。
地下のホームを離れた電車は地上へと駆け上がり、淀屋橋からの線路をまたぐため、ひときわ高い高架を上がっていく。
そのとき左手には大川が流れ、右手には建物のすきまからお城が顔をのぞかせていた。
ショウガの天ぷらを食べると学校を半日で帰る土曜日の昼食を思いだす。
商店街の天ぷら屋には他にもいろいろあったのだろうが、あとはウインナーとウズラの卵を串にさして揚げたものがなつかしい。
いまならウスターソースで食べるのだが、その頃はショウユかあるいはトンカツソースだったかもしれない。
冷めた天ぷらのほのかに甘い衣をかみしめると、ゆっくり油がしみだしてあとからショウガのつんとした辛さが追いかけてくる。そのとき、わたしの受容体は、理性の働きではとてもまかないきれないほどの情報をあちらこちらに伝達し、次の瞬間には記憶の蜃気楼を作り出すのだ。
あまりにも多くの月日が流れてしまったように感じられるいまでも、ウスターソースの海に浮かぶショウガの香りは、わたしを静かで穏やかな土曜の午後へと引きもどす。
OMMビルのとなりには松坂屋があった。川に面しただけがとりえのような、少しくたびれた百貨店だったが、大食堂もティールームも近所の店には決してない、きらきらしたものに満ちていた。
隣家の老夫婦からまわってくる招待券で、OMMビルで行われる販売会に行くのが毎度のことだった。母はそこで家族分の衣服をそろえていたようだ。
はじめて都市というものに触れたのは、天満橋だったと思う。生まれた場所は、人は多いが都市ではなかった。
「かつて京阪電車にはカーブが多く、京阪電鉄カーブ式会社といわれるほどだった」という話がある。たしかにいまでもカーブは多く、好んでカーブ上に駅を作っているのではないと思うことさえある。
しかし、そんな話がほんとうにあったのか。
もっともらしい話には注意しろと、柳田国男も言っていた。